HI-MATIC

ここは大きな文字サイズのページです。
標準サイズの文字でご覧になりたい方は こちらをクリック
HI-MATIC
HI-MATIC

世界初の完全プログラムAEカメラで、20年以上続いたハイマチックシリーズの記念すべき最初のカメラ。また、アメリカ初の有人宇宙船フレンドシップ7に積まれ、グレン中佐によって初めて宇宙空間で使用されたカメラ、ANSCO AUTOSET(アンスコ・オートセット)が本機のOEMだったことでも有名なカメラです。海浜幕張のショップへ買い物に行ったとき、たまたま隣りの空き地でやっていたフリマでシャッター不動の安価な固体に出逢ったので連れて帰りました。大型の角張ったボディ、明るいグレーの貼り革、大きなセレンの受光部と、なかなか迫力のあるスタイル。シャッターボタンの位置も独特で、ボタンと言うよりはレバーと言う感じで、右手の人差し指ではなく中指の方が操作しやすくなっていました。見つけたときに動かなかったシャッターはベンジンと注油によって復活、ファインダーもクルマ用のハーフミラーを貼って二重像を見やすくしました。

このカメラはシャッター羽根と独立した絞り羽根を持っていますが、この絞り羽根はフラッシュ撮影用で、AUTOのときは開放に固定されたままシャッター羽根のみでプログラム露出が行われました(つまりシャッター速度1/30秒以外では自由に絞りを選べない→その後の機械式プログラムシャッター搭載のハイマチック7や9も同様)。基本的にはプログラムAEオンリーと割り切っており、もしセレンが死んで露出計の針が動かなくなっていると完全にアウトなのですが、minocatの家にやってきた固体の針はまだ元気良くビンビンに振れていました。

このカメラはWEB等で作例を見たことがなかったので、さほど期待をせずにに使ってみました。パッと見には際立った印象はありませんが、決して悪いわけではなく、嫌味がなくて素直で良い描写だと思いました。ピントを合わせるだけで、撮影者が露出に一切手を加えずにこれだけ写るのが、当時としては驚異であったということも十分に納得できました。

アンスコ・オートセットはハイマチックのOEM機(レンズはANSCO ROKKOR 45mmF2.8)。右はスミソニアン博物館に展示されているオートセット。ちなみにグレン中佐(John Herschel Glenn、1921年生、オハイオ州ケンブリッジ出身)は、1998年にスペースシャトル・ディスカバリーで、当時77歳の最高齢宇宙飛行士として向井千秋さんと一緒に飛んでいます。1999年に来日した際にハイマチックの中古(完動品)を購入して持ち帰ったそうです。

発売:1962年3月 / 当時価格:19,800円 / レンズ:ROKKOR-PF 45mmF2(5群6枚)
シャッター:CITIZEN UNI-E(B・1/30秒・通常は1/45秒F2〜1/500秒F16のプログラム)
受光素子:セレン / ピント合わせ:二重像合致式 / フラッシュ:なし
電源:不要 / サイズ:138×84×67mm / 重量:約740g